冬の奈良公園を歩くきます。この一帯は神域をかかえているからか、凛とした雰囲気があります。それでも張り詰めたような冬の冷気を穏やかにするのは、緑の効用です。 ところが鹿のいるところは緑に乏しい。冬のこの期間、緑はあらかた鹿に食べられているようです。古代より神の使いとして保護されてきた鹿ですが、1000頭以上いると、餌となる植物が食べ尽くされてしまいます。ところがシカは、ナギは冬芽でも嫌って食べません。 奈良市街のすぐ東側には,鹿の遊ぶなだらかな丘陵が続いています。それを取り込むように背後に春日山原始林がひろがっています。その主役はナギ。春日大社の神木です。ナギはマキ科マキ属。神社や寺院に植栽されることが多く熊野地方でも神木とされています。 春日山原始林ではナギの勢いが圧倒的で、「伐採したほうがいい」という意見もあります。ナギは忌避物質(アレロパシー)であるナギラクトンを出し、ほかの植物の発芽や生育を阻害するからです。ナギに覆われれば、ほかの樹木は駆逐され、草花や昆虫も減り、多様な自然が失われてしまいます。 春日山原始林には,約100ヘクタールの自然林が残されていて,椎や樫が自然状態で生息しています。この中には,立ち入りの許されない御笠山の神域が含まれていて,御笠山山頂には神社が祀られています。この山は,全体が春日大社のご神体です。 「春日山原始林」は1000年以上も伐採が禁じられてきた照葉樹林です。ツブラジイ、イチイカシのなかまなどを主体とした暖温帯の「極相林」といえます。春日大社が創始された8世紀頃、御蓋山(みかさやま)の麓から飛火野にかけてイチイガシを優先種とする照葉樹林が広がっていたと考えられています。かつての主役はイチイガシだったのです。 いまでも境内にイチイガシの巨樹が多く生育。幹周り3mを越えるものが23本もあり、奈良市の指定文化財に指定されています。 イチイガシ はブナ科コナラ属で、とくに関西から南に分布する常緑高木です。西日本には巨樹が多く生育しています。「イチイ」の名がつくように、カシのなかでも樹形が雄大だから、社寺林などに植栽されたのでしょう。 弥生時代の人たちはカシの木を、野球のバットのような棍棒の先に楕円形の穴を開け、そこに石斧をはめ込んで使っていたといいますが、どんな種のカシを使っていたか特定できていません(鈴木三男『日本人と木の文化』八坂書房)。しかし、イチイガシは木材としても優秀だから、当然使われていたと思われます。 イチイガシはウラジロガシとの区別が難しい。イチイガシの樹皮は灰黒褐色で薄片となって剥げ落ち荒々しい感じがあります。それに対して、ウラジロガシの樹皮は灰黒色でなめらかです。 また、イチイガシの葉の特徴は、葉身の半分程度鋭い鋸歯がありますが、ウラジロガシの葉は上部から3分の2以上にやや鋭い鋸歯があります。 イチイガシは総じて樹勢が雄大で、その存在感は格別のものがあります。 神域の一角に万葉植物園があります。『万葉集』に収録される歌に詠まれる植物を植栽し、観賞をする植物園です。中央には、萬葉時代の庭園を思わせる造りの池があり、園内中央部の浮舞台では春秋2回、雅楽・舞楽が「萬葉雅楽会」として奉納されます。その舞台の背景になっているのが一本のイチイガシです。 それにしても、一本の樹木としては横の広がりが大きい。 近寄って見る。主幹が地面を這い、分かれた二本の幹が立ち上がっています。つまり、苔むした主幹は地に長く臥せているのです。台風だったのか。強風に曝され、ついに倒されたのでしょう。それでも、そのままうち捨てられたイチイガシは身を起こすように太い枝を伸ばしました。横たわったまま、その幹と枝が竜の横たわる様の姿でそびえ立つ、「臥竜のイチイガシ」の誕生です。 倒れた幹からは枝が垂直に伸びています。もともとスギなどは、雪などのために垂れ下がった枝が直接地面に触れ、そこから新たに根が生え、やがて親木から独立することがあります。多雪地に分布する天然杉の更新方法として知られています。伏条更新(ふくじょうこうしん)といいます。 「臥竜のイチイガシ」は伏条更新を進行させ、クローンの分身をつくろうとしているのでしょうか。伸びた枝が独立するということは、這った主幹が朽ち果てるということになります。しかし、イチイガシは倒れても立ち上がり、生きる意欲を全身で示しています「。 神域の森でイチイガシはナギに圧倒され、生育場所を狭めてきました。人の手でナギを伐って、イチイガシを守るべきとする意見もあります。ナギが増えるのも自然の成り行きだから、人為を加えるなという意見も根強いものがあります。倒れても意欲に充ちたイチイガシの生き様を見ていると、私は後者の意見となります。 生き続けることに執着しているように見える古樹ですが、悲壮感はありません。冬の陽光に輝く緑豊かな樹冠はあっけらかんと生を謳歌しています。 「あるがまま」で大丈夫。一つ一つのイチイガシには「臥竜のイチイガシ」に見られる生命力を内包しているに違いありません。
by seppuka
| 2024-01-07 10:35
| 連載 古樹 巡礼
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