10月11日、ミキクラブの観察会で「野菊のこみち」を歩いてきました。北総鉄道の矢切駅で下車、江戸川方向に歩いていくと、伊藤左千夫の小説『野菊の墓』の文学碑のある野菊苑は小高い丘にありました。しかし、野菊の季節ですが、野菊は見当たりません。 丘からは江戸川の田園風景が穏やかに広がっていました。『野菊の墓』に出てくる矢切の風景を構成しているのは水田が主ですが、整然と区画された農地はすべて畑で水田はありません。ともあれ、この畑の中を「野菊のこみち」が矢切りの渡しまで続いています。 丘を下り「こみち」の手前の坂道の脇にシロヨメナが咲いていました。 畑地帯を横切る細い道には石碑が建てられ、『野菊の墓』の場面が彫り描かれています。しかし肝心な野菊の姿はありません。 小道は農道を兼ねています。道の両側には野菜畑が連なります。水田がないので乾燥した環境にあるようです。歩くこと30分、野菊を一つも見ることなく、江戸川の土手にたどり着きました。 土手の上り口の茂みに、ノコンギクが生えていました。肝心な「野菊のこみち」に野菊がない、野菊の季節になぜないのか、ミキクラブの鈴木さんが松戸市に問い合わせましたが、「農家の協力が必要」などと言うだけで、釈然としません。 それでも、「こみち」には秋の花が咲いていました。どんな花が咲いていたか紹介しましょう。 ノボロギクはキク科キオン属。明治初期に帰化し、畑などに生えます。乾燥に強いヨーロッパ原産の草です。 コセンダングサはキク科センダングサ属。熱帯アメリカの原産で、日本には江戸時代に渡来しました。都会の荒地にも群生します。 アメリカタカサブロウも熱帯アメリカ原産で、キク科タカサブロウ属。帰化が発見されたのは最近で、1981年です。水田の畦や空き地などに生えます。 トキワハゼはゴマノハグサ科サギゴケ属。道端や畑などに生えます。 イヌホウズキはナス科ナス属。道端や畑に生えます。古い時代に入ってきた草で、全草に毒があります。 ワルナスビもナス科ナス属。北アメリカ原産で、明治初期に千葉県三里塚の牧場に侵入したそうです。 「こみち」から野菊はなぜ姿を消したのでしょうか。それは野菊が生える環境を喪失したからです。考えられる要件を列挙しましょう。 なによりも、整然と区画化された場所では日本の草花が生える場がないということです。水田がなくなり、湿潤な環境がなくなりました。ノコンギクは乾燥したところにも生えていますが、カントウヨメナは苦手なようです。畑の周辺は除草が進み、除草剤も撒かれることもあったでしょう。強い撹乱が頻繁にあり、草丈が1m近くにもなる野菊は駆除されがちです。その分、帰化植物が侵入しました。撹乱に強い生き方ができる外来の草たちです。 野菊の咲く草原は日本の秋の原風景の一つです。『野菊の墓』に見られるように、日本人は野菊に自分の、愛する人の思いをそっと重ね合わせてきました。 「野菊のない野菊の道」は草原に漂わせてきた日本人の価値観の喪失につながります。 #
by seppuka
| 2011-10-21 18:07
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