その森は切り立つ岸壁に連なり、海に対していた。「そのヤマモモ」はそんな森に佇み、潮騒を聞きながら樹齢を重ねていた。遠い昔の潮騒を、時に海鳴りを覚えているのだろうか。 東伊豆の海岸を訪れるたびに私は「そのヤマモモ」に逢いにいく。伊豆高原で電車を降り、海岸に向かう。ほどなく常緑樹の森が迎えてくれる。起伏のある森の道をゆっくりと歩く。ヤブニッケイ、ヒメユズリハ、タブノキ、ヒサカキなどが混生した森を行く。魔法使いがいるようなヤブニッケイの純林を抜けていく。潮の香りがしてくる。潮騒がする。 海から海辺の森に直接強い風が吹きあたる。一年で数回は恐ろしく強い風が吹きまくる。潮騒は海鳴りとなる。草は風を吹き流せるが、樹木は受け止め、耐えるしかない。樹勢が衰えた幹は試練にさらされる。 道すがら、ヤマモモの大木が引き裂かれていた。裂かれた大木は大きな洞があった。「あのヤマモモ」は大丈夫だろうか。樹木が若く、恵まれた環境にあれば枝を伸ばし、葉を目いっぱいにつけて、生を謳歌できる。しかし、それが強風によるストレスを高めてしまう。老いると強い風への抵抗力が弱まる。 入り江を何度か通り越す。海と断崖とその上の森の風景が変わる。 やがて緩やかな斜面に広がる木立に行き当たる。多様な樹種が展開するその一角にたった1本、「そのヤマモモ」は佇んでいた。 東伊豆はヤマモモの自生地として北限に位置している。海岸沿いに点在し、まれに群生している。地元の人たちはヤマモモを、親しみを込めて「やんも」と呼ぶ。ヤマモモの株は雌雄別種で、このヤマモモは雌だ。このヤマモモは「やんもバーちゃん」である。「また来たよ」という。「元気だったか」と答えてくれるような気がする。 すでに主幹の上部は失われている。しかし一の枝、二の枝はたくましく伸び、バランスをとっている。基部は洞があり、痛々しい。しかし節くれだった幹は陰翳に富み、樹齢を重ねた品格が伝わる。地元の人の話によれば江戸時代から既に古樹で、大事にされてきたという。 実は、ここから4キロ離れた城ケ崎海岸の蓮着寺という日蓮宗のお寺の境内に、樹齢1200年というとんでもない古樹がある。 このヤマモモは国指定文化財(天然記念物)で、この地域を代表する樹木だ。根廻りは7.2メートル、樹高25メートル、枝張(東西)22メートルで、日本でも最大級の樹木である。その迫力には圧倒されるが、潮風が直接当たらない寺の境内にあって、大事に保護されてきたのか、姿は力強さが目立つが、古樹なりの陰翳がないのが気になる。巨木と呼ぶのがふさわしい。 再び、あの「やんもバーちゃん」に戻ろう。 潮風によく耐え、海鳴りのする強風にたじろがない意志に充ちたその樹肌に、私は蓮着寺の巨木にはない尊厳を認めるのである。 このヤマモモの周囲2キロにはヤマモモがない。それでも毎年赤い実をつける。季節になると、潮風に乗って遠くの雄木の花粉が流れてきて、受粉ができているのだろうか。 ヤマモモは潮騒を聞きながら樹齢を重ねていた。遠い昔の潮騒を、時に海鳴りを樹肌に樹姿に刻み込んでいた。私は目線をゆっくりと移動させながら、その記憶を辿る。 #
by seppuka
| 2011-09-26 14:31
| 連載 古樹 巡礼
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