秋のお彼岸は夏から秋への境目で、日本人はこの時期に先祖の墓に参ります。ヒガンバナはこの時期に咲きます。それは妖艶な花模様です。その赤色は艶やかですが深い。真っ赤に燃え立つような赤色に、逆に沈静したような雰囲気も漂います。 この頃、埼玉県日高市の巾着田では一斉にヒガンバナが咲き揃います。大変な数のヒガンバナが独特の世界を現出させています。赤い花に覆われた世界は、華やかさはあるものの、神秘的な奥行き感を湛えています。ヒガンバナは「彼岸花」、彼岸というあの世に咲く花でもあるからでしょうか。 円を描くように蛇行する高麗川に囲まれた地は「巾着」に似ていました。8世紀にこの付近に移り住んだ高句麗からの渡来人が、巾着の地を利用してこの地で田を作り、稲作を伝えたといいます。現在の巾着田のヒガンバナは人が植えたものですが、当時もこの時期ヒガンバナはわずかだが咲いていたでしょう。 河川の増水などでヒガンバナの球根が流れ着き、土手などに根付いたと思われます。ヒガンバナのなかまは川の流れや海流によってその生息域を広げていったようです。ハマユウもニホンズイセンもインド洋を経てはるばる日本の海岸にたどり着いたヒガンバナ科のなかまです。 日本の暖地海岸に野生するハマユウの起源はアフリカにあり、この果実がインド洋を経て北上し、小笠原諸島、そしてわが国の暖地海岸にたどり着き、それぞれの種類が分化したようです(柳宗民『雑草ノート』)。ハマユウの花はヒガンバナの花によく似ています。 ヒガンバナの原産地は中国とされています。しかし、ヒガンバナは「曼珠沙華」という別名があるように、梵語では「天上に咲く花」で、仏教と縁のある草花です。仏教発祥の地インドから中国大陸の揚子江河口あたりに球根が流れ着き、分布域を広げ、さらに黒潮に乗って日本に流れ着いたとも推定できます。 ヒガンバナは不思議な草花です。中国から日本に流れ着いたヒガンバナは、突然変異でしょうか、染色体数が奇数になり、種子ができなくなっていました。日本のヒガンバナは球根で増えるクローンです。 球根は分球して、よく増えますが、限りがあります。それでも東北地方まで分布域を広げていきました。どうして広がったのでしょうか。 それは人手が広げたのです。この球根には有毒なアルカロイドが含まれますが、良質の澱粉が多量に含まれています。飢饉の多かった昔、救荒食糧としてこの澱粉を利用したのです。砕いて何度も水にさらせば食べられたのです。人々は球根を様々なところに植えていきました。 ヒガンバナはリコリンという有毒なアルカロイドが含まれ、有毒植物です。ところが意外なことに、人里近くの草藪、土手、道端に球根が植えられていきました。毒が強いから、田んぼの畦に植えました。害獣や虫による農作物の害を防ごうとしたのでしょう。 ヒガンバナの球根には牽引根があります。増水などで土が流れて球根が浮くと、根は縮んで球根を土の中に引っ張り込みます。これが畦や土手の土が流れないようにする土どめの役目を果たします。だから畔や土手にも植えられました。 墓地の周囲にも植えられました。昔は土葬がかなりありましたから、ネズミやモグラなどから墓を守ったのでしょう。このため、「しびとばな(死人花)」、「ジゴクバナ(地獄花)」などと不吉な名前がつけられました。 毎年繰り返すヒガンバナの生活の仕方から、「葉みず花見ず」の名もあります。神出鬼没な生き方から名づけられたものです。 9月、ヒガンバナは突然に花茎だけをぐいぐい伸ばします。そして1週間ほどでつぼみをつくります。葉もなく、花が咲く雰囲気のないところに不意に咲くことがあり、驚かされます。 出現する花は妖艶です。素直に美しいと感じるか、不気味と思うか。もちろん、花の咲いている時は葉が生えていません。「葉見ず」の段階です。 10月、花が終わると、次第に秋が深まっていきます。樹木は葉を落としていきます。やがて草丈の高い草も枯れていきます。すると今度はヒガンバナの青々とした葉が勢いよく生えてきます。光を遮るものが少なくなり、ヒガンバナの葉は光を受け、光合成を活発に行い、栄養を球根に蓄えます。「花見ず」の時期です。初夏に木々が葉をつけ、高い草に覆われてくると、ヒガンバナは葉を落とし、休眠に入ります。 「この世(此岸)」に花が咲いている時、葉は「あの世(彼岸)」にいます。「この世(此岸)」に葉が生えている時、花は「あの世(彼岸)」にあります。このように考えれば、此岸と彼岸の境目に咲く花は彼岸に咲く花であり、「彼岸花」と名がついたのでしょう。 先に記したように、ヒガンバナは曼珠沙華とも呼ばれます。天上つまりあの世に咲いている赤花です。仏教と縁の深そうな雰囲気があります。 今から2500年前の頃、生涯旅にあった仏陀もついに病に疲れ果て、入滅を覚悟しました。仏教の祖である仏陀の涅槃の地は北インドのクシナガールです。 私がクシナガールの仏陀涅槃の地を訪れたのは11月。夜明け前の聖地には薄紅く朝日を映してストゥパと祠堂が浮かび上がっていました。クシナガールは重要な仏教の聖地であり続けていました。 仏陀は二本並んだサーラ双樹の間に北枕で床を用意させ、右脇を下に、足の上に足を重ねて横臥しました。伝説によると、そのときサーラ樹はときならぬ花を咲かせました。そして、マンダーラーヴァの花が虚空から降り注いだといいます。この花は「天上赤花」で、私はヒガンバナ(曼珠沙華)のことではないかと思います。ヒガンバナに導かれ、あの世に逝かれたのでしょうか。 祠堂には涅槃像があり、花に囲まれていました。 天上の花であるヒガンバナは死人の花とも、地獄の花とも呼ばれます。一方、秋の里に欠かせない彩であり、人と寄り添ってきた草花です。そうした一つの花が醸し出す多様性は驚くほどです。 多様なイメージを引き起こす花模様 ヒガンバナの花模様は様々なイマジネーションを引き起こさせます。あなたは、巾着田の彼岸花の世界を逍遥していると、天上の世界を歩いているような気分になるでしょうか。それとも?
by seppuka
| 2022-01-12 08:02
| 連載 花模様
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