梅雨のこの時期、鎌倉はアジサイの花を見に多くの人たちが訪れています。北鎌倉駅のホームは人が溢れ、明月院の参道は進むにままならぬ状況です。そこで、発想を転換、訪れる人が少ない浄妙寺を訪ねました。ここではゆったりとアジサイを鑑賞できます。アジサイの美しさを愛でるだけではなく、アジサイの「装い」をじっくり観察することにしました。 アジサイは「七変化」とも呼ばれます。花色は紫から紺色、水色からピンク、はたまた紅色と様々で、時には水色の花が赤色に変わったりするからです。しかも、アジサイは数多く園芸品種がつくり出されています。母種になったのはガクアジサイやヤマアジサイなど日本のアジサイです。 ガクアジサイはユキノシタ科アジサイ属で、最も基本のアジサイです。じっくりと見てみます。たくさんの小さな花が平に咲いています。これが花の集まり(集合花)。一番外側に大きな花があります。大きな花に囲まれて、小 アジサイは「七変化」とも呼ばれます。花色は紫から紺色、水色からピンク、はたまた紅色と様々で、時には水色の花が赤色に変わったりするからです。しかも、アジサイは数多く園芸品種がつくり出されています。母種になったのはガクアジサイやヤマアジサイなど日本のアジサイです。 大きな花の真ん中を見ると、丸いつぼみのようになっているか、小さな花のようなものがあります。その「花」をよく見ると花のようですが、オシベは8本程度で、まばら。メシベはありません。実はこの花は種子をつくることのない不稔性の花なのです。花びらに見えるのは萼(ガク)です。この花は虫を呼び寄せる広告塔のような役割を果たす「装飾花」でした。 額縁のように装飾花に囲まれている小さな花々が本当の花です。この小さな花をよく見てみると、オシベが10本あります。葯には花粉がたっぷりついています。中央にメシベが3つあります。ハチやアブなどは目印の装飾花に引き寄せられて近づきますが素通りして、小さな花に着地しています。 装飾花の花色は微妙に変化するようです。咲き始めは水色でも咲き終わる頃、ほんのりとした赤色をおびることもあります。こうした性質を利用して園芸品種が多くつくられました。 江戸時代、装飾花の多い変種がもてはやされ、栽培されていたといいます。長崎に滞在したシーボルトはこの花の雰囲気が好きでした。当時、学名(当時)にオタクサ(お滝さん)と日本人妻の名を付けました。ガクアジサイは海を渡り、ヨーロッパに紹介されました。そしてヨーロッパで品種改良が行われました。ところが、日本に里帰りしたアジサイはなんと装飾花ばかりになっていました。これこそ私たちがふつうアジサイと呼んでいる「セイヨウアジサイ」です。まずは、一大変化でした。 アジサイの花色は、はじめは青かった花も、咲き終わりに近づくにつれて赤みがかかることもあります。一般にアジサイの花色は「土壌が酸性ならば青、アルカリ性ならば赤」といわれます。酸性の土壌ならアルミニウムイオンが水に溶けやすくなり、花色は青になります。しかし、酸性濃度は地中のアルミニウムがイオン化する量を左右する要因であり、酸性土壌であっても土壌のアルミニウムの量が少なければ花が青色になることはないのです。 しかも、装飾花に含まれる補助色素によっては青にならないものがあるといいます。だから、同じ酸性土壌に赤いアジサイと青いアジサイが咲いていることがあるのです。 浄妙寺境内にはクレナイも植えられていました。ガクアジサイと同じくユキノシタ科アジサイ属です。装飾花は紫色から紅色を帯びます。ヤマアジサイが母種で、花びらのようにみえる装飾花の萼は3枚か4枚です。クレナイの萼は3枚が多いようです。 赤い装飾花は色がかすれて、何とも微妙な色合いです。梅雨時期に似合う輝きの色です。 アマチャの葉を乾燥して発酵させたものを煎じると甘茶ができます。甘茶は江戸時代以降、4月8日の灌仏会に釈迦立像に甘茶をかける習慣があり、いかにも寺院の花という感じもします。 「あじさい」の名は「藍色が集まったもの」を意味する「あづさい(集真藍)」が訛ったものといわれます。また漢字表記に用いられる「紫陽花」は唐の詩人、白居易が別の花(ライラック科)に名づけたもので、平安時代の学者源順がこの漢字をあてはめたことから誤って広まったといわれています。 梅雨に輝くアジサイの花々。しっとりと、ゆっくりと味わいたいものです。 #
by seppuka
| 2012-06-26 08:33
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